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本作『エミリー・レインとリシダス』には「ぞくぞくわくわく」がつまっている、いや、溢れている。
外国の子供のための「ぞくぞくわくわく」などと思ってはいけない。
「ぞくぞくわくわく」とは本来、年齢、性別、国籍を超えて普遍性を持つものである。

まず状況設定がいい。
主人公エミリーとアウロラは孤児院に暮らす親友同士だが、彼女たちを巡る大陰謀は、まずロンドンを、それから英国全土、さらには世界すら手中に収めようとするもので、エミリーとアウロラは、数多くの味方の力を借りて、恐るべき敵の陰謀を打破すべく奮戦する。

しかし、こんなことを勝手にやらかされては困るので、主人公たちは何とか陰謀を食い止めようとする。
戦いが起きる。その舞台は、なんと大都市ロンドンの地下深くに広がる巨大な地下世界――もうひとつのロンドン〈ウアアルト・メトロポール〉だ。ローマ帝国の時代にはすでに存在していたという。

とどめは、魅力的な主人公たちと超個性的な脇役たちに尽きる。どんなにスリリングでエキサイティングなストーリィを考え、奇想天外な小道具や仕掛けを作り上げたところで、その中で活躍する登場人物たちが、その辺にいくらでもいる平凡な人間では、面白さが生きてこない。
だからといって、いきなり漫画みたいなスーパー・ヒーローを主人公にしたって、小説では笑われるだけだ。
誰でも、自分はあまり取り得のない平凡な人間で、退屈な人生を送っているけれど、実は異次元の世界からやってきたスーパーマンかスーパーウーマン。危機一髪のとき、この真の姿と超能力で大暴れ、という夢を見たことがあるはずだ。本書のヒロイン・エミリーがそれである(詳しく書けない。ごめんネ)。
彼女の最大の敵、〈リシダス〉は、子供たちの魂を吸い取るような邪悪な存在でありながらも、エミリーの傷を治療もしてくれる。単なる敵役ではないのだ(ここも、本書を読んでネ)。

ブリュースター卿がエミリーを連れて行った先は錬金術師モティマー・ヴィトゲンシュタインの家であった。何処となく陰気で黒髪、黒ずくめのこの男は、最初子供嫌いでエミリーにも冷たいが、彼女の明るさ純真さに、次第に人間らしい心を取り戻していく。典型的なグッド・バッド・マンである。よくあるキャラクターだが、こういうタイプはいつ出て来ても嬉しいよね。君たちの持つ「善」と「悪」の両面を備え、それでいて「善」人だからだ。
一番の悪役をあげておこう。
〈夜の神〉ニュクスだ。地下世界のさらに下に広がる「アップルグンド(深淵)」に住み、巨大な泥の怪物ゴーレムや牛魔人ミノタウルスを操り、世界征服を企てる大悪神である。
どうだい、こういうもの凄いキャラクターが、少年少女にとって、永遠の冒険の理想郷・地底世界で大アクションを繰り広げるんだ。

前にも書いたが、物語だけじゃ、みんなの胸を打つことはできない。キャラクターあっての物語だ。そして、キャラクターに深みがあればあるほど、物語は面白くなる。
これもさっき書いたけど、登場人物に誰ひとり、当たり前のヒーローや悪役はいない。みな心に傷を負い、きみたちと同じように悩んだり、苦しんだりしながら、敵と戦う。これが『エミリー・レインとリシダス』を呆れるくらい面白いエンターテインメントにしている理由だ。
普通の物語なら、エミリーは、まず、主人公の殻を大きく破ったりはしない。主人公らしくない行動を取っても、それは君たちが何とか許せる範囲内に留まるということだ。

よくわかったろう、『リシダス』はけっしてその辺に転がっている口当たりのいいファンタジーじゃない。それなのに読み終えた後、君らは世界一おいしい炭酸飲料水でも飲んだみたいにスカッとするだろう――って、こんな解説はこの小説に必要ない。いい本てのは読めばわかる。ほら、いつのまにか、ラストまで読み終わっただろう? それこそ、『リシダス』の本当の魅力なのだ。